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1 犯罪理解のために

 犯罪については,連日,事件としてテレビや新聞などで報道されている。人々の興味,関心をひく話題であるし,注目も集める。それは犯罪という現象の一つの側面には違いないが,そうした報道や記事を追いかけているだけでは,犯罪に対する理解は偏ったものになるし,誤った考え方をすることにもつながる。

 講義では,そもそも犯罪とはなんなのだろうか,といった話題から始まり,犯罪をどのように理解するのか,どのように把握するのか,どのように研究対象とし,分析を行っていくのか等について話を進めていきたい。

  なお、この講義では、犯罪現象をマクロな視点から見ていくこととしたい。マクロな視点とは何かというと、いわゆる犯罪統計の数値という、計量データを元にして犯罪について考えていく、ということである。

 例えば、殺人事件があったとしよう。そこには、被害者と加害者がいて、おそらく加害者にはなんらかの考えがあって犯罪行動に及んでおり、その加害者はどんな性格で、どんな生い立ちをしていて、犯行当時はどういった社会経済状態に置かれ、心理状態はどうであり、被害者との関係はどのようであり、などなど1つの事件についても詳しく探っていけば、いろいろな内容を含んでいる。適切な処遇選択の必要性や社会的な要請もあって、加害者の性質、特に動機の理解について大きな関心が持たれる。

 しかし、犯罪統計上は、基本的には単に「1件の殺人事件」としてカウントされることになる。その数値を巡っていろいろ考えていきましょう、というのが本講義の趣旨である。

 このように書くと、なんとなく人の犯罪行動の複雑で微妙な襞の部分を無視してしまっているような印象も受けるし、事実そういう面がなきにしもあらずではあるが、いえいえ講義を聴いていけば、そうした犯罪統計の数値は世の犯罪についていろいろなことを語っていることがわかる思う。特にマスコミや社会情勢、施策といった点について、興味深い力動を見ることができるのだ。

 なお、もっと加害者や被害者の視点に接近した、個別の事例検討に近い、ミクロな犯罪のとらえ方については、別に講義を設けるので興味がある方はぜひそちらに参加していただきたい。

 少し前置きが長くなってしまったが、それでは以下のような問題提起から講義を始めていくこととしよう。

 最近,治安の悪化が叫ばれ,認知件数や検挙率といった犯罪統計が頻繁にマス・メディアに登場するようになってきた。治安の悪化は,有識者を含めて,多くの国民にとって既定の事実として受け入れられてきている。しかし,その根拠として使われることの多い認知件数や検挙率といった警察統計とは,いったい何を測っている統計なのだろうか。そもそも治安とは何を意味しているのか。(犯罪統計入門 浜井浩一(編)2006)

 これから学習を進めていくことで,犯罪について,世間一般に言われていることが,果たして本当にそうであるのか,といった疑問の目で捉えなおすことができるようになるだろう。我が国の治安は悪化しているのか,犯罪は凶悪化しているのか,近年児童虐待は大幅に増加したのか…etc。新聞報道や有識者の発言について,誤りを指摘することができるようになるだろう。

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2 Preliminary

 平成18年8月25日午後10時ころ,飲酒運転の車が自己を起こして子供3人が死亡するという事件が起きた。事故については,例えば,下記のような報道がなされている。

「福岡市東区の人工島(アイランドシティ)と雁の巣を結ぶ「海の中道大橋」で、一家5人が乗った多目的レジャー車(RV)が後続の乗用車に追突され、海に転落した事故で、福岡県警は26日未明までに一家の幼い子ども3人の死亡を確認した。県警は乗用車を運転していた同区奈多3丁目、福岡市西部動物管理センター職員の今林大(ふとし)容疑者(22)を道路交通法違反(ひき逃げ)と業務上過失致死傷の疑いで逮捕。今林容疑者は飲酒運転だったことなどから、危険運転致死傷容疑の適用も視野に捜査する(Yahoo!ニュース)」

 事故の内容は確かに痛ましい。罪のない子供3人が死亡した。相手の車は飲酒運転である。普通の感覚であれば,内容を知った人は怒りを感じる内容であろう。マスコミの論調も,加害者への非難や怒りの感情がこもったものになった。飲酒運転が社会問題としてクローズアップされ,多数の記事がテレビのニュースや新聞紙上に載せられている。

「飲酒運転が心底から憎い 車転落3児死亡暗い海で3人の子の命を必死に救おうとした親の心情を思い、遺族から提供された写真で3人の子どもの愛くるしい表情を見つめる。胸が締め付けられる。   
                                                               (中略)
飲酒運転は、結果の深刻さからすれば無差別殺人に匹敵するほど悪質な犯罪だが、つい近年まで、道交法違反と業務上過失致死傷罪しか適用できなかった。刑法が適用できるようになったのは、刑法改正で新設された「危険運転致死傷罪」が2001年暮れに施行されてからだ。昨年1月には最高刑が懲役15年から20年に引き上げられた。今回の事故で捜査当局は、この法律での立件を視野に入れている。
 この法律は、現実的にはまだ十分に機能しているとは言えない。飲酒運転をこの法律で裁くには「正常な運転が困難な状態」で運転したことを立証しなくてはならず、捜査当局としてはどうしても慎重になるからだ。より適用しやすくする改正が必要ではないか。
                                                              (後略)
(2006/08/29付 西日本新聞朝刊)」

 さて,ここで話題にするのは,飲酒運転許すまじといった話や厳罰化の必要性といったことではない。そういった世の中の論調とは少し距離を置いて,今回の犯罪によって引き起こされた社会現象を眺めてみよう。

「酒酔い・酒気帯び運転で1126人摘発 全国取り締まり
警察庁は19日、飲酒運転の全国一斉取り締まりの結果を発表した。酒酔い・酒気帯び運転の疑いで27人が逮捕されるなど、延べ1126人が摘発された。また、飲酒検知を拒否した道交法違反容疑で3人が逮捕された(2006年09月19日18時36分,Ashahi.com)」

 平成18年9月20日の新聞紙上にはこの一斉摘発が記事として大きく取り上げられた。平成18年9月20日の新聞紙上にはこの一斉摘発が記事として大きく取り上げられた(この日,Googleニュースで飲酒運転の記事を検索すると65件もヒットした)。

 この取締りは,9月14日,15日の夜間に実施されたものであるが,昨年9月の1日平均の摘発数は392件であったことから,約3倍の数値となっている。

 ところで,このように飲酒運転による摘発数が大幅に増えたからといって,世の中のドライバーが今年の9月になってから急にこぞって飲酒運転を始めた,と考える人はほとんどいないであろう。飲酒運転が3倍にも増えるような社会的な変化がこの9月にあったとは考えにくいのだ。これは,これまで警察が捕まえていなかったものが,件の事件をきっかけに急に一生懸命(?)捕まえるようになったので,数値が増えたと考えたほうがよいだろう。

 つまり, 

  • 飲酒運転の件数は,捜査機関(警察)の姿勢に左右される
  • 捜査機関の姿勢は,世論によって左右される。

 ということになる。

 ショッキングな事件が起こり,マスコミで大きく取り上げられ,社会問題化した場合に,警察がそれまで摘発していなかった犯罪への取締りを強化すれば,世の中の犯罪はどんどん増えていくことになる。

 今回,飲酒運転の場合には,今年9月に飲酒運転が急に増えたのではなく,もともとそのくらいの人が飲酒運転をしていたというのは,人々もうすうすわかっている。新聞では,「飲酒運転が潜在的に多く(平成18年9月20日付け山形新聞)」といった報道もされている(もともとその犯罪がどの程度行われていたのかを知るのは,本当はすごく難しいが)。

 しかしながら,そういう風な解釈のされ方がされない場合もある。摘発された数,というのはある意味で具体的で,客観的な指標であるが,それをどう解釈するかということになると,解釈する側の恣意によるところも大きくなるだろう。

 近年,社会問題化された児童虐待を見てみよう。厚生労働省のホームページ([クリフメイヤー] ショートパンツ 抗菌 さらさら エアー ショーツ メンズ)から虐待相談対応件数の推移を見てみよう。平成8年から平成18年まで,約9倍に増加している。
 
 さらに、平成19年度は40618件であったので増加の一途である。

(平成23年度中に、全国206か所の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数は59,862件で、これまでで最多の件数となっている。)

 

児童相談所の相談処理件数が急増しているがここ数年で虐待の発生が急増したというよりは,虐待が社会的に認知されたことによる部分が大きいといった指摘がされている(龍野洋子 2003 児童虐待について―その実体と対応 更生保護,54,(8) 20-28.)。

 本当に近年,虐待が増えたかどうかはわからない。ここ数年で虐待が数倍に増えるような社会的な変革があったかというと,そうとも考えがたい。一方で,子育てのできない親が増えたといった説が,虐待増加の原因として語られることもある。

 年配の方では、 「昔は、しつけで子供を叩いたりはすることがあっても、あんなひどい虐待みたいなことは親はしなかった。」といった感想を持たれる方もいるだろう。
 しかしながら、実際のところは、わからないとしかいいようがないだろう。

 ここで、注目したい点というのは、犯罪について考える際に,真実,世の中で何が起こっているかを完全に知ることは不可能である、ということである。マスコミが作り上げる世論や捜査機関の姿勢,人々の関心などの要素によって,犯罪を見る指標となる数値は容易に変動していく。

 こうした捉え方ができるようになると,治安の悪化,犯罪の凶悪化,モラルの低下といった近年よく耳にする言説を,そのまま真実の出来事であるかのように受け入れていくことに,疑いの目をもっていかなければならないことに気がつくだろう。

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 犯罪とはなんだろうか?
 改まって問われると,どう答えればよいのか困ってしまう。

 まず,最初に確認しておくこととして,「犯罪」はリンゴや自動車のように具体的な実体を持たない,というのがある。目に見えないし,手に持ったりして,「これが犯罪だよ」と指し示すことできないのだ(だから,そのままでは数えたり、大小比較をしたりなどして、数量を評価することができない)。

 具体的な実体がないけれども,その存在を認めて取り扱う。これを構成概念という。犯罪は構成概念なのである。構成概念は,実体のない人の心や行動を研究の対象とする心理学では頻繁に出てくるのでおなじみだろう。「性格」,「知能」,「攻撃性」といったものと同じである。

 実体がないので,構成概念は定義によって特徴付けられる,というか存在を許されることになる。例えば,「知能」は実体を持たない。だから,知能とはどういったものであるかを定義していくのである。そうして定義をしていくことによって,知能というものをあたかも存在するもののように取り扱うのである。定義の仕方にはいろいろある(知能」に様々な定義の仕方があるのはご存知だろうか)。

 定義をするにしてももうまくやらないと,構成概念がどういうものなのか本質がよくわからなくなる。というか構成概念は定義が命なのだ。定義をしっかりすることで構成概念も明確に存在することになる。

 さて,話を犯罪にもどそう。犯罪は実体がない,それでは,犯罪をどう定義するかが問題となる。単純に,

 「犯罪=悪いこと,やってはいけないこと」

と定義してみてもよい。定義すること自体に制約はないので,これでも別によいのだが,こうした定義だと困ったことが起こってしまう。それでは,「悪いこと」ってなんだろう。「やってはいけないこと」ってどんなことなんだろう,という疑問が出てくるのだ。

 我々の社会では,犯罪をした人間を捕まえて,裁判をして,その処遇(懲役とか死刑とか)を決めることにしている。だから,先ほどのような,ある意味でいい加減な定義では,役に立たない。そこで,犯罪についての刑法上の定義というのが出てくるわけである。刑事司法システムにおいてはこの定義に従って手続きが進められ,犯罪が取り扱われ,犯罪者が取り扱われていくのだ。

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4 刑法における犯罪

 犯罪とは,刑法においては,

  1. 構成要件に該当する
  2. 違法
  3. 有責

 な行為であるとされる。
 ある行為が犯罪とされるためには,この3つの要件が充たされる必要がある。以下に3つの要件をどのように確認していくのか簡単に見ておこう。
 
 構成要件とは刑罰法規によって示される犯罪類型のことで,どういったことが犯罪にあたるのか,ということについて共通認識として取り決められた枠組みのことである。
 
 次に違法性であるが,構成要件に該当するような行為は,構成要件がもともと犯罪行為を類型化したものであるから,基本的には違法性が推定されることになる。しかし,刑法35条の正当業務行為(例.医師が手術で人体にメスを入れる),刑法36条の正当防衛,刑法37条の緊急避難(例.暴漢にいきなり襲われて通行人を突き飛ばして逃げた)等の違法性阻却事由に該当する場合には違法性なしとされ,構成要件に該当していても犯罪とはみなされない。
 
 最後に有責性であるが,

 刑罰を科すには行為者が自己の行為に関する法の命令・禁止を理解し,かつこの理解に従って自己の行為を制御する一般的能力を有していることが必要となる(吉川経夫 1987 「責任能力」に関する基礎的な考え方 島薗安雄・保崎秀夫・逸見武光編 法と精神医療 金原出版 13-25.)。

 この一般的能力のことを責任能力という。有責性に関する規定は,刑法39条1項に「心神喪失者の行為は,罰しない。」,2項に「心神耕弱者の行為は,その刑を減刑する。」と定められている。裁判で心神喪失が認められた場合には犯罪の構成要件に該当する行為を行った者でもその行為は刑事事件手続の上では犯罪ではないし,有罪判決が下されることもない。この場合の行為は犯罪ではなく触法と呼ばれ ,これが精神障害者の逸脱行為に対して刑罰が科さない刑法上の根拠となる。

 ここまでで見たようにある行為が刑法上で犯罪として認定されるためには幾つかのクリアすべき条件があることがわかる。

  刑事事件手続きにおいては,処罰が妥当かどうかということを巡って刑罰の謙抑性が求められ,いたずらに処罰すること自体が戒められるため,厳密な要件に適合する行為だけが対象となるのである(守山正・西村春夫 1999 犯罪学への招待 日本評論社)。

 実生活において我々が「犯罪」を思い浮かべるときには,法律の実務家,専門家でもない限りはこうした手続きを想定することはあまりないであろう。このことは,刑事司法システムに基づいて生じてくる犯罪現象と,一般的な犯罪についての感覚との間にズレが生じてくる可能性があることを示している。
 
 こうしたズレは,しばしば生じるのではないだろうか。例えば,飲酒運転による事故で,危険運転致死傷罪では,検出されるアルコール濃度が一定以上でないと適用されない。だから,飲酒で事故を起こしたら,被害者を救出しないで逃げて時間を稼げば(いわゆるひき逃げ)適用されないことになる。

 「飲酒で事故を起こしているのにどうして?」

 といった声が聞こえてくる所以である。

 条文は以下のようになっている。

(危険運転致死傷)
刑法第208条の2
アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。
2 人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。

 したがって、危険運転致死傷罪はバイクの運転手には適用されない。バイクを酔っ払って運転して人をひき殺しても適用されないのだ。

 「車だろうと,バイクだろうと,酔払い運転は走る凶器ではないか?」

 といった声が聞こえてきそうだが,その辺の運用は厳密にやるわけである。その結果,刑罰の運用についてどうもおかしい,納得ができない,といった世論が形成されることもあろう。

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5 犯罪とは?を巡る諸問題(その2)

 前節では,刑法学上の犯罪の定義について見たが,もちろん,これが犯罪の絶対的な定義というわけではない。先にも書いたように,定義の仕方にはいろいろある。つまり,犯罪の定義には別バージョンがある。

 例えば,デュルケムは社会分業論で,犯罪を

「ある行動はそれが集合意識の強力な確定的な諸状態を冒涜するとき犯罪的である」(デュルケム E. 井伊玄太郎(訳) 1989 社会分業論 講談社,Dulkeim,E. 1893 De la division du travail social.)

 と定義している。平たく言えば,集団の中で大勢の人が常識だと思っている,そういうものを壊そうとする行為を犯罪ということになる。
 犯罪はあくまでも実体のない,構成概念なので,定義の仕方によって,何が犯罪であるかはいくらでも変更可能である。

「どのような行動が犯罪であり非行であるかは,その行動が行われている社会によって定められる」(大江篤志 1984 社会と犯罪 石田幸平・武井槇次(編) 犯罪心理学 東海大学出版会 85-102.)

 国によって犯罪を定める法律は違うし,時代によっても何を犯罪とするかは違う。ある社会においては犯罪であったものが別の社会においては犯罪ではなくなることもあれば,過去には犯罪として処罰されなかったものが現在は処罰されるといったことも頻繁に生じる。

 我が国で1951年に覚せい剤取締法が制定されるまで,覚せい剤が合法だったことはご存じだろうか。戦前に「ヒロポン」という商品名で販売され,戦後も薬局で一般に売られて販売されていた時代がある。タクシー運転手や深夜勤務の作業員が好んで愛用していたという。

 結局のところ,犯罪は,何か絶対的な理由があってその行為が犯罪とされているわけではない。犯罪というものは,ある社会でそれが犯罪とされているから,犯罪となる,それだけである。こういった考え方は腑に落ちないだろうか。それでは,なぜ人を殺すことが犯罪になるのだろうかを考えてみよう。

 花子:「なぜ人を殺したら犯罪になるのかしら?」
 太郎:「それは,例えば,自分が殺されたら嫌だろう。だから,されないように犯罪として取り締まるんだよ」
 花子:「だったら,自分が殺されてもいいっていったら,殺してもいいの?」

 自分がされたら嫌だから、人にもしないし、犯罪として取り締まる、というのはある程度の説得力があるが、それならば、相手からやってよいからといわれれば、それは犯罪にはならなくなるのかというと、そういう場合もあれば、そうでない場合もある。

 また、一般的によく知られた例では,戦場では敵の兵隊を殺しても犯罪にならない。明治時代の初めまでは仇討をして人を殺すことは日本では犯罪ではなかった。

 もちろん、自分が殺されてしまうのは筆者としても御免こうむりたいところであるが、だからといって、なぜ人を殺していけないか、ということの理由を理屈で考え始めると回答はでてこない。

 人を殺すという行為を,犯罪にするかしないかは,社会状況によって、都合良く切り分けられている。 
 もっと簡単に、人殺しは倫理的に,道徳的に悪いのだ,と言ってしまうというやりかたもあるが、これは,「人を殺すこと=悪いこと=犯罪」という定義と本質的には変わらない。

 デュルケム(E.Durkheim)は同じく社会分業論で,「われわれは,或る行為が犯罪であるからそれを非難するのではなく,それは,われわれがそれを非難するから犯罪なのである」と述べている。逆説的なように聞こえるが,先に見た刑法上の定義がまさにそうである。犯罪というものが,最初から確として存在しており,だからそれが犯罪なんだ,という風になっているわけではなく,法律で決められたものを犯罪と呼びましょうと言っているわけなのだから。
 このように犯罪を社会との関係性で捉え,定義する考え方は,犯罪学ではラベリング理論と呼ばれている。

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6 レイブリング・パースペクティブ

 ベッカー(H.Becker),レマート(E.Lemert)らが提唱したラベリング理論においては,犯罪は,犯罪者としてレッテルを貼られる(ラベル付けされる)者とレッテルを貼る者(ラベル付けする者)の相互作用の中で生み出されるとされる。

 ラベリング理論では,犯罪行動は行為の属性として絶対的な悪であったり,属性として非難されるべき性質を備えているということはなく,社会との相互作用の結果生じることになる。先にも書いたが,刑法学上の定義はまさにラベリングと捉えることができる。

「罪刑法定主義と構成要件の概念は犯罪が「構成」されるものだということを明言している」(鮎川潤 2000 犯罪・少年非行と社会問題-社会構築主義の挑戦- 刑政,111,3,54-61.)。

 すなわち,構成要件該当性のような刑法学上の犯罪概念は,ある行為があったときにそれを犯罪と定義し,そして,その罪の重さはこの程度である,と定義しているわけであり,その定義は「犯罪とは何か?」という問いに対して,「こういう行為を犯罪と規定しましょう」という形で解答を与えるものとなっている。

 例えば,刑法235条には,「他人の財物を盗取した者は,窃盗の罪とし,十年以下の懲役に処する」と記載されているが,このように刑法典にはどういったことが罪に該当し,その罪はある量刑を科される対象となる,といったラベリングが存在するのみであり,何故その行為が犯罪とされるのかについては説明がない。こうしたラベリングは社会的相互作用の中で規定されたとしか言いようがない。

 さらに,ラベリング理論から発展してきた社会構築主義という考え方が,犯罪社会学の分野に取り入れられてきている。社会構築主義は社会問題の研究を主とする分野である。

「社会問題とは人々がそれを社会問題だと考えるところのものである」,「社会問題は何らかの想定された状態について苦情を述べ,クレイムを申し立てる個人やグループの活動である」,「社会問題の理論の中心課題はクレイム申し立て活動とそれに反応する活動の発生や性質,持続について説明することである」(キツセJ.I.&スペクターM.B. 村上直之・中河伸俊・鮎川潤・森俊太(訳) 1992 社会問題の構築-ラベリング理論をこえて― マルジュ社,Kituse,J.I.& M.B.Spector 1977 Constructiong social problems, Menlo Park,CA:Cummings Publishing Company.)

 社会構築主義は,社会問題を最初から実在するものとは考えず,人々の相互作用を通じてそうした属性,特徴,性質が与えられ,社会的に構築されるものと考え,社会問題として定義づけられていく過程に焦点を当てるアプローチをとる。

 この枠組みはそのまま,犯罪の分析に適用する事ができる。

「犯罪を行ったとされる人」と「犯罪を行ったとされる人を取り扱う権限を委ねられた人」による相互行為の中で行われる解釈を通じて構成されるものが犯罪となる(既出,鮎川,2000)。

 犯罪という現象は行為の実行者,被害者,捜査機関,裁判所,世論等がお互いに干渉しあい,相互作用した結果として産出されてくると考えられる。

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7 落ち穂拾い~犯罪研究の対象

 犯罪心理学,犯罪社会学,犯罪学などといった分野で,犯罪を研究する際には,単に刑法上の定義を持ってくるわけにはいかない。犯罪=刑法で定義された犯罪,という取り扱いをしてしまうと,犯罪として扱える題材が限定されてしまう。

 もし。犯罪学が刑法の犯罪の定義をそのまま借用すると,無罪推定の原則から考え,判決が確定して,犯罪行為が認定された者のみが犯罪になる。しかし,これでは犯罪の対象が極端に限定される。(~中略)
 犯罪学の目的は,科学的な方法を用いて,犯罪や犯罪者を理解し,犯罪の発生や再犯を防止する方法を考えることにある。ということは,犯罪学が対象とする犯罪は,刑法によって定義される犯罪とは,質的にも量的にも異なるものと言える。
(犯罪統計入門 浜井浩一(編) 2006 日本評論社  p.6)

 例えば,14歳未満の者が物を盗んだり,人を殺したりしても,それは刑法上は犯罪ではない(触法少年)。精神障害のため心神喪失状態にあった者が,人を殺してもそれは犯罪ではない。
 判決が確定するのは,長い裁判を経てからになることもあるので,それまではたとえどんな行為をしていても,それは犯罪ではない。

 また,対象とする行為が構成要件に該当しなくても,広く犯罪に関連した行為として取り扱われる場合がある。虞犯(ぐ犯)という概念がそれである。

イ)保護者の正当な監督に服しない
ロ)正当な理由がなく家庭に寄り付かない
ハ)犯罪性のある人若しくは不道徳な人と交際し、又はいかがわしい場所に出入りする
ニ)自己又は他人の徳性を害する行為をする性癖のあること

のいずれかに該当し,その性格又は環境に照らして、罪を犯し又は刑罰法令に触れる行為をする虞(おそれ)がある少年(少年法3条1項3号)を,ぐ犯少年という。

 ぐ犯は家庭裁判所の審判の対象とされるが,ぐ犯は犯罪ではない。だからと言って,ぐ犯は,未成年がやってはいけないこと,非行のはじまり,あるいは非行そのものとも言え,犯罪でないからといって,研究の対象から外してしまうのは不自然だろう。

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8 操作的定義と概念的定義(その1)

 犯罪は,実体のない構成概念であり,

  • 定義することで初めて取り扱いが可能となる。
  • その定義の代表的なものに刑法上の定義がある。
  • しかし,刑法上の定義では,犯罪の研究には不十分である。

 それでは,一体,犯罪の研究では,どのように犯罪を定義すればよいのか,という疑問が出てくるだろう。

 それに対する答えとしては,研究の目的によって,研究の手法によって,利用できるデータの性質によって,一番良いと考えられる方法で定義する,としかいいようがない。しかし,こうした言い方は無責任に聞こえるかもしれない。

 実際に,犯罪をどう定義し,どう数量化し,把握するかと言うことについては,後の授業で取り上げられる,自己申告式非行尺度のところで具体的に見ていくことにするが,その基本となる考え方について,この章で説明する。操作的定義と概念的定義のお話である。

 今回の受講者は心理学を学んだものが多いと思うので,「知能」を例にとって,操作的定義と概念的定義の説明をしてみよう。概念的定義とは抽象度の高い定義の仕方のことである。

 ウェクスラーによる知能の定義は,「個人が目的を持って行動し、合理に思考し、自らの環境を効果的に処理する総合的・全体的能力」というもので,これが概念的定義である。

 この定義を読むと何となく意味は伝わるものの,さあそれでは,目の前に対象者がいたとして,この人の知能はどのくらいなのですか?と問われると,どうしたらよいのかわからない。この人は合理的に思考しているのだろうか,自らの環境を効果的に処理しているのだろうか,そうするための総合的,全体的能力はどうか,などと言われても,どうすればよいのか解らないのである。  

 そこで,知能検査というものが登場してくる。知能検査は,複数種類の課題を実施してその成績を見ることで,その人の知能が解ることになっている。つまり,先に述べたような定義を元にして,どのような手順に従って,どのように対象者を取り扱えば,「知能(指数)」と呼ばれる結果が算出されるかが事細かに定義されているのが知能検査であるのだ。

 このように,意味は何となく分かるが曖昧な概念的定義を,具体的で,誰が取り扱っても等しい結果が出るくらいまでに客観的したものを操作的定義と言う。

 つまり,知能の操作的定義は,「知能とは知能テストで測られたもの」ということになる(犯罪統計入門 浜井浩一(編)2006 p.10)。

 このように操作的定義をすることで,実体を持たない知能を測定することが可能になるわけだが,さて,知能の操作的定義である,ウェックスラー系の知能検査(WISC-Ⅲ,WAIS-Ⅲなど)が,本当に先の概念的定義を操作化したものなのか?という問題は残される。

 操作的定義によって定義されたものが,もともとの関心事である概念的定義をきちんと捉えているかどうか,満足できる形で表しているかどうかが重要になるのだが,これが妥当性と呼ばれるものなのである。妥当性は信頼性という言葉とセットになって出てくるが,これについては,別の機会に取り扱うこととしたい。

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9 操作的定義と概念的定義(その2)

 それでは,犯罪の概念的定義と操作的定義について見ていこう。先ほどは使い物にならない,と書いたが,犯罪の概念的定義は,「悪いこと」という意味合いを含んだものになるであろう。

 とはいえ,広辞苑における犯罪の定義は「法を犯すこと。また,犯した罪。」となっているなど,犯罪という概念には人から嫌がられる,好ましくない行為という価値が含まれている。そして,そうした行為が,刑法の対象ともなるため,犯罪学と刑法の犯罪の定義が,その内容においてまったく異なるものにはなりえない。(犯罪統計入門 浜井浩一(編)2006 p.7)

 「人から嫌がられること」,「好ましくないこと」というのは、概念的定義の一つのバージョンである。非常に抽象的な定義である。さてここから、抽象度を下げていく作業を行って、測定できるようにし(操作化)、犯罪の操作的定義を完成させていこう。

 犯罪は、人から嫌がられること、好ましくないことなのだから、もう少し具体的にすれば、人のもの盗む、人に暴力をふるって怪我をさせる、人を殺す、etc.といったことが犯罪になるだろう。

 これらは、まだまだ、抽象度が高くて、操作的定義とは言えない。たとえば、先にあげたもののうちで、犯罪に含まれるものとして「人を殺すこと」、という部分を見てみよう。人を殺すこと、というのが、それだけでは測定可能なものではないこと、実体のあるものとして取り扱いが可能になったわけではないことがわかるだろうか。

 日本全国の人々が今現在も、人を殺すことをしているが、だからといって、どのくらいの人が殺して、どのくらいの人が殺されているのかわからないでしょう。操作的定義というからにはもっともっと具体的で、あたかも物に触れるとそれとわかる(tangible)かのように、測定可能でないといけない。

 人が殺されたということは、その人は少なくとも死んでいなくてはいけない。死んでいるってどういうことだろう。動いてないとか、呼びかけても返事がないとか、心臓が止まっているとか、もう生き返らないとか、専門的になると、瞳孔の散大とか。人が死亡したかどうかは、正式には医師に診断をしてもらう必要がある。人を殺すこと、ということなので、人がただ死んだだけではだめで、誰かに殺されている必要がある。誰かに殺されたというのは、どうやって確認するのだろうか。誰かが殺したという場合にも、その人がちゃんと(?)人を殺したかどうか正式に確認される必要があるだろう。

 医師が心拍の停止を確認し、死亡を宣告した後に、遺体を検案し、異常を認め、死体検案書の死亡欄に他殺と記載した状態、あるいは、警察や裁判所によって殺人と認知された状態(犯罪統計入門 浜井浩一(編)2006 p.9)。

 これくらいまで、具体的にすれば、犯罪、のうちの人を殺す行為(刑法では殺人と読んでいる)の操作的定義が完成したといってよいだろう。これならば、その気になれば、今年日本でどのくらい人を殺すという行為が行われたかを把握することができるようになる。
 

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10 操作的定義と概念的定義(その3)

 先ほどの操作的定義について、2つほど、留意しておく点を指摘しておく。

 さっきの定義では、人が殺されたり、人を殺していた場合でも、うまく測定されない、網に引っかかってこない場合があることに気がつきますか。探偵物ではないが、自殺と見せかけて実は他殺で、警察では自殺として処理されている場合とか、行方不明者なんだけど、実は人に殺されていて、警察がそれを把握していないとか。

 操作的定義に従っていくと、こうした取りこぼしがでてくる。そして、その取りこぼしを完全にフォローするすべはない。人が人を殺す、という定義をどんなに綿密に具体的に決めたとしても、神様が世界を見張っていて、その定義に当てはまった場合に、カウンターをチェックする、ということでもしない限りは、正確な数はわからない。警察の統計や裁判所の統計で出てくる、殺人、という数値は、あくまで殺人について真実の数はわからないけれども、その推定値を与えています、という意味になるのだ。これが一つ。

 もう一つは、人を殺す、ということについての操作的定義にもいろいろなバージョンがあるということである。人を殺す、という行為を刑事司法システムにおいては殺人という名称(概念)で取り扱うが、その取り扱い方にもいくつかのバージョンがあるのだ。

 殺人の認知件数は、刑法的定義の影響を受ける反面、正式な裁判手続きによって殺人と認定されたものを殺人として計上するほど厳密なものではなく、警察が殺人と認定したものが、すべて裁判所でも殺人として認定されているわけではなく、その意味では刑法上の殺人と同義ではない。つまり同じ刑事司法統計であっても、警察段階の殺人は、比較的単純に、人を殺した行為が計上されるのに対し、検察、裁判と手続きを経るごとに、より厳密な刑法上のスクリーニングが働くことになり、同じ1年間に発生する殺人の規模の操作的定義でも、警察の認知件数、検察の受理人員、裁判の終局事件数のどれを操作的定義として用いるかで結果は異なる。一般的に、殺人では、これらの統計の乖離はそれほど大きくはないが、強盗や強制わいせつなどでは、かなり大きくなる(犯罪統計入門 浜井浩一(編)2006 p.7)。

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11 警察統計(その1)

 前節までは、犯罪とは何か、といったような幾分、抽象的な話をしてきたが、実際に、犯罪について調べよう、我が国の犯罪の実情はどうなのか、といったことを考えるときに、欠かせないのが犯罪統計である。
 犯罪統計は、警察や裁判所、矯正施設(刑務所とか少年院とか)を管轄する法務省など犯罪にかかわりのある機関が犯罪についてのデータをまとめたものである(厳密には異論があるかもしれない)。

 犯罪統計で一番基本となるのが警察統計である。警察統計は、捜査機関である警察の活動によって生じてくる犯罪についてのデータをまとめたものである。ここで重要な数値が、認知件数と検挙件数であり、次節から詳しく見ていこう。

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12 警察統計(その2)~認知と認知件数

 認知と認知件数は以下のように定義されている。

  •  認知とは、犯罪について、被害の届出若しくは告訴・告発を受理し、犯罪捜査規範第69条第1項若しくは第78条第1項による事件の移送を受け、又はその他の端緒によりその発生を確認することをいう(犯罪統計細則第2条)。
  •  認知件数とは、警察において発生を認知した事件の数をいう。

 犯罪捜査規範第○○条のところは、事件の管轄とか移送に関する部分なので、それほど気にしなくてよい。
(気になる人は、webで犯罪捜査規範を見れます。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S32/S32F30301000002.html

 つまるところ、認知件数とは、警察が犯罪の発生のことを公式に確認した件数である。ある者が商店で万引きをしたが,その場面を誰も見ておらず,商店の側も被害に気がつかず警察への届出がなされない場合には、犯罪は発生しても、認知件数には入らない。

 この種のバリエーションはいくつも考えられ,誰かが見ていても通報しなかったり,軽微なものとして商店が通報しなかったり,といった場合が考えられるし,他には覚せい剤を自室で繰り返し使用していたが誰にも見つかっていないといった場合もあるだろう。犯罪の構成要件に該当する行為が現実に行われていてもその存在が誰にも知られることがない場合があり、これは暗数と呼ばれる。

 暗数のバリエーションとして、連続窃盗犯が警察に逮捕された際に生じる暗数を紹介しよう。窃盗犯の内のあるタイプは、捕まるまで窃盗を繰り返す。店舗荒らしや民家への侵入盗等である。1件や2件ではなく、半年、1年を経て数十件に及ぶこともある。それで、捕まってから取り調べを受けると、自分でもどこに侵入して、何を盗んだのか、はっきりと覚えていなくなることがある(酒好きの方は、自分がこの1年にどこの店で何を飲んだのかを全部列挙することができるか試みられるとよい)。
 犯人も悪気があって隠しているわけではなく、本当に覚えていなかったりすることもしばしばで、警察では被害届けと照合しながら供述調書を作っていくが、全ての被害で被害届が出ているとは限らない。
 こういった取り調べの作業は、限られた人的資源で国民の治安を守っている警察官にとっても大きな負担になるようだ。私が、以前に面接したことのある連続窃盗犯は、警察で「ここまで調べた事件で立件するから。」と言われ、「まだ他にもあると思うんですが・・。」と答えたものの、他の事件が調べられることはなかった旨を語っていた。

 警察統計では昭和40年までは「発生件数」という用語が使用されていたが、41年に名称が「認知件数」と変更された。そもそも、社会事象の発生をすべて観察することは不可能であるため、発生件数という用語は誤解を生じることにつながる(犯罪統計入門 浜井浩一(編)2006 p.51)。

 さて、警察に対して届出がなされても,それが必ずしも事件としては受理(認知)されないことがある。そうした時には、公式の犯罪統計に記録として表れてこない。さっきのところで、「正式に」と書いた所以である。

 1999年に起きた桶川ストーカー殺人事件をご存知だろうか。

 これは女子大生が,元交際相手とその兄が雇った男によって殺害された事件で、ストーカー行為にあって身の危険を感じていた被害者とその家族は、「殺されるかもしれないんです」と何度も埼玉県警上尾署に相談し告訴状を提出していたが、警察は事件受理を回避して捜査をしないで放置していたというものである(被害者の家族に告訴の取り下げを要求したり、告訴状を改竄していた)。

 いろいろと考えさせる事件であるが、ここで言いたいのは、警察に通報したり、被害を相談しただけでは、それが直ちに「認知」にはならず、「認知件数」にも計上されないということなので、念のため。

  事件が通報された後にも「事件」は公式統計に組み込まれるまでに,その通報に対処して意思決定を下す警察組織と刑事司法機構の各種の当事者による何次ものスクリーニングをくくり抜けなければならない。(中河伸俊 1996 逸脱・社会問題研究における公式統計の使用について 奈良女子大学社会学論集,3,49-62.)

 捜査機関の事件受理についての姿勢によって、認知件数はいくらでも左右されるのだ。

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13 警察統計(その3)~検挙と検挙件数

定義は以下のようになる。

  •  検挙とは、犯罪について被疑者を特定し、送致・送付又は微罪処分に必要な操作を遂げることをいう。
  •  検挙件数とは、刑法犯において警察で事件を送致・送付又は微罪処分をした件数をいい、特に断るのない限り、解決事件の件数を含む。

 解決事件という言葉が出てきたので、以下。

  •   解決事件とは、刑法犯として認知され、既に統計に計上されている事件であって、これを捜査した結果、刑事責任無能力者の行為であること、基本事実がないことその他の理由により、犯罪が成立しないこと又は訴訟条件・処罰条件を書くことが確認された事件を言う。

 ちなみに、微罪処分とは、刑事訴訟法第246条但書,犯罪捜査規範第198条に規定があり、犯罪が軽微で刑罰を課す必要性が少ない犯罪者を裁判にかけたりしないで、刑事事件手続きからはずす処分である。

 それはさておき、もとより認知された事件が全て犯人の逮捕によって決着がつくというわけではない。平たく言えば,捕まらずに逃げ果せる犯人もいるわけだ。

 そして、犯人が逮捕されるかどうかについては,警察官の有能さや、犯人の優秀さ(?)加減が関係することに加えて、どの程度の人員が当該事件に割かれるか,どの程度警察組織の中で重要視されるかといった捜査機関の姿勢,一般人の協力,そういった態勢を形成する要因ともなるマスコミの報道(!),その他様々な要素が関係してくる。

 よく取り沙汰される、そして、近年の治安悪化言説の論拠ともなる検挙率は、以下のように算出される。

  • (検挙件数/認知件数)×100

 警察が正式に受理した事件のうち、どのくらい解決しているのか、という指標である。

 犯罪の検挙は、被害者・被害関係者だけでなく、地域住民の不安軽減や警察活動に対する評価にもつながる。そのため、検挙率という数値が注目されることとなろう。(犯罪統計入門 浜井浩一(編)2006 p.52)

 

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14 警察統計(その3)~統計数値

 能書きばかりが先行したので数値を見てみよう。

 法務省が出している犯罪白書から数値を参照すると、

 平成18年の刑法犯の認知件数は、287万7027件
 平成19年の刑法犯の認知件数は、269万0883件

 このうち、交通関係業過を除く刑法犯の認知件数は
    平成18年 205万1229件 
    平成19年 190万9279件
 であった。
 
 認知件数は、こういった書き方をされることが多いが、交通関係業過を除くというのは、交通事故による業務上過失致死傷、重過失致死傷を除いたもののことを言う。
 これらを除いた数値は、一般刑法犯とも呼ばれる。
 刑法犯というと、窃盗、傷害、殺人といったものがすぐに思い当たるが、過失で交通事故を起こした場合も刑法犯になるのだ。

 しかし、交通事故となると、なんとなく刑法犯のイメージと違う上に、数も相当に多いので、それを取り除いた数値を提示することで、一般的な刑法犯のイメージに沿った犯罪の量を把握しようとしているわけである。

 ここで、細かい注釈を入れるが許されたし。
 平成18年の一般刑法犯を警察統計から調べると、
     205万850件
 という数値がでてくる。これは、犯罪白書の数値に比べて379件少ない。
 それほど大きな差ではないが、どうして数値が違っているのか。

 これは、犯罪白書には、危険運転致死傷の379件を一般刑法犯にカウントしていることによる。警察統計には、この危険運転致死傷を、一般刑法犯に含めないため、数値が減っているのである。

 危険運転致死傷は、先にも出てきた。
 交通関係の犯罪であるので、一般刑法犯から除かれても不思議ではないが、悪質な犯罪と言うことで、犯罪白書では、含めているのかもしれない。

 危険運転致死傷を
  法務省は一般刑法犯に含め
  警察庁は一般刑法犯に含めない。
 飲酒運転許すまじといった、姿勢がそうさせているのかどうか、詳しい内部事情はわからないが、定義や操作の仕方で統計数値が変わってくる好例であろう。

 閑話休題

  平成18年の刑法犯検挙件数は、146万6834件であった。
 検挙率は、
    146万6834/287万7027≒0.509
    つまり、50.9%である。

  同様に、
  平成19年の刑法犯検挙件数は、138万7405件であった。
 検挙率は、
    138万7405/269万0883≒0.5334
    つまり、51.57%である。

 
  次に、 刑法犯の認知件数と少年刑法犯の検挙人員の推移を見てみよう。


 この2つのグラフは新聞報道や週刊誌などで,しばしば出てくる有名(?)なもので,みなさんの中で見たことがある人もいるのではないだろうか。

 認知件数が増加を続けた平成14年頃には、マスコミの報道だけではなくて,研究論文の至る所で引用されている。

 グラフを見てわかるように、刑法犯の認知件数は平成14年まで増加の一途をたどっていた。

 「犯罪の増加,治安の悪化」

 が社会問題として取り上げられるようになったゆえんである。

 ところで、刑法犯の認知件数は平成15年,平成16年、平成17年、平成18年、平成19年と減少傾向にある。

 一般刑法犯の平成20年の数値は、警察庁の速報値で
    181万8023件
 であるから、さらに、件数は下がっている。

 また,少年犯罪の検挙率は平成10年まで、局地的に増加し、第4の波は来るのか?などと騒がれたものであるが、平成15年以後は、減少傾向にある。

 だからといって、マスコミは、日本はどんどん平和になっています、などと報道するわけではない。殊に、少年犯罪では,多発化に加えて,凶悪化というキーワードで頻繁に語られている。

 統計数値の上では,確かに,かつて犯罪は増加傾向にあった。しかし,犯罪統計がどのようなものであるのかについては,これまで見てきたとおりであり,真実の現象を示しているわけではない。
 もちろん、最近では犯罪は減少傾向にあるが、これとて真実の現象である理由はどこにもないのであるが。

 ここで、頭に残しておきたいこととしては、

 犯罪の増加,治安の悪化については,本当にそうなのか?

 という疑問を頭に浮かべながら,統計数値の意味を考えていく必要があるということである。

 この話題については少し後で考えてみることにしよう。

 

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15 各種犯罪の数値

 警察庁の統計をホームページでhttp://www.npa.go.jp/toukei/index.htm#sousa

で見ればすぐにわかることではあるが、一応、各種の数値を見てみよう。

 平成19年の一般刑法犯、
  つまり、交通関係業過を除いた刑法犯認知件数は190万8836件
 平成20年の一般刑法犯は、181万8023件で、内訳を見ていくと、

  • 平成19年 窃盗 142万9956件
    平成20年 窃盗 137万2840件 

     これが一番数が多い。刑法犯で最もポピュラーなのは窃盗なのである。

     新聞紙面を賑わす事件は、殺人事件や強盗事件といった派手な(?)ものが多いため、もしかすると意外に感じられるかもしれないが、物を盗むという犯罪が世の中では一番多いのである。これは、少年事件でも変わらない。
     
     平成20年では、一般刑法犯(交通関係業過を除く刑法犯)に占める割合は、75.51パーセントなので、4つに1つが窃盗となる。

     窃盗の内訳を見ると、乗り物盗が50万1331件(平成20年)で、窃盗の内の36.5パーセントを占める。窃盗の約3に1件は、自転車やバイク、自動車の窃盗である。自転車やバイク盗など、窃盗にカウントされるものには比較的軽微なものも含まれるけである。
     もちろん、軽微といっても、被害者はたまったものではないであろうが。
     
     ここから先は、余談であるが、筆者は、1度原付バイクを盗まれたことがあるが、ショックは大きかった。一方、少年鑑別所で勤務していたころは、非行少年の話を聞いていると、バイクを盗んだり、自転車を盗んだりする話は、珍しいものではなく、ごく普通で、むしろ、その程度の犯罪で収まっているならば、大きな問題はないとか、そんな認識をしていたものである。

     1度や2度、バイクを盗んだ程度では、普通は、少年鑑別所には入ってこない。何か他にもう少しちゃんとした事件(?)を犯して(例えば、金額の大きな窃盗や悪質な恐喝、被害のそこそこ大きな傷害とか)、少年鑑別所に入ってきた少年が、過去の非行歴に自転車窃盗しかしていないと、他に大したことはしていないですねえ、などと話していたりしたものだ。

     自転車を盗んで少年鑑別所に入って来ると言えば、家出をし、放浪生活の末、地元を離れた場所で自転車を盗み、現地で警察に捕まえられて親元の土地の少年鑑別所に移送されてくる、というのが定番であった。

     話が横道に逸れた。続きを見ていこう。
     

  • 平成19年 知能犯 7万5999件
    平成20年 知能犯 7万3252件
     窃盗以外は、ぐっと数が少なくなる。知能犯に含まれる犯罪として、主なものを見ると、
     平成20年は、詐欺が6万4427(交通関係業過を除く刑法犯の3.54パーセント)、偽造が6503件、横領が2193件となる。

     なお、ここで言う横領には、占有離脱物横領は含まれていない。少し解説すると、放置されて持ち主がわからないバイクや自転車を勝手に持ってくると占有離脱物横領になる。
     占有離脱物横領は、警察統計ではその他の刑法犯に含まれるが、数は結構多くて、6万8171件(平成20年)である。

  • 平成19年 粗暴犯 7万2908件
    平成20年 粗暴犯 6万8948件

     平成20年の粗暴犯の内訳は以下のとおりである。
     傷害が2万8291件(交通関係業過を除く刑法犯の1.56パーセント)
     暴行が3万1641件(同 1.74パーセント)
     恐喝が   6349件(同 0.35パーセント)
     脅迫が   2651件
     凶器準備集合16件
     
     人に暴力を振るう事件の認知件数は、割合的には、それほど多いわけではない。窃盗と傷害は、犯罪として一般的にイメージしやすい割に、発生率には大きな差があることは注意しておいてよいであろう。

     もちろん、割合が小さくても、殴られた被害者は大変なのだから、それでよいということではない。
     ところで、しばしば、窃盗を犯した者が、自分は物は盗むが、人を傷つけたりはしない、といった言葉を口にすることがある。モーリス・ルブランの怪盗紳士ルパンで、ルパンは殺人はしない、といったことをルパン自身が誇りにしていたりする。心境としては似たようなところがあるのかもしれない。

     しかし、まあ、さんざん盗みをやっておいて、自分は人を傷つけるわけではありませんから、などと言われても、どうかという気がする。実は、これは、窃盗犯が自身の犯罪行動を合理化する一つのしばしば見られる手段なのだ。 

     なお、傷害のうち、136件(平成20年)は傷害致死である。
    殺人と傷害致死の違いを簡単に説明すると、人を殺すつもりで殺したのが殺人、殺すつもりはなかったけど殴っていたら死んでしまったというのが傷害致死である。

     殺意の有無、というのは、しばしば裁判では争点となる。最初から、殺すつもりでやったかどうか、というのはあくまで本人の内面、考え方の問題であるから、その点で、物的な証拠が残るわけではない。本人の直接語る動機を除いては、事前に包丁を買って準備をしていました、とか、被害者に対して殺してやると声を発していたとか、そういったところから、決めていくことになる。

     殺人と傷害致死では、傷害致死の方が罪が軽い。検察側が殺意を立証しようとし、弁護側が殺意を否定するという展開は、しばしば見られる裁判の風景である。あくまで、もともとの争点は、事件実行場面での、加害者の心の持ちようなので、うがった見方をすれば、後になって「殺すつもりはありませんでした。」と言えば、殺意の否定は主張としては簡単にできてしまう。

     被害者にしてみれば、すなわち、殺された側にとっては、殺すつもりのある人に殺されようと、殺すつもりがなくて殺されようと、結果に変わりはなく、いずれにしろたまったのものではないのだが、加害者にしてみれば、罪の重さが変わってくるので(死刑になるかならないか、といった違いになる場合もある)、重要な争点となるのだ。また、弁護する側も、法廷の場に持ち込みやすい争点、論点なのだろう。

     明確な殺意の有無、については、本当のところを明らかにするのは難しいと思われる。罪を逃れたくて、殺すつもりはありませんでした、と加害者が言うこともあるだろうが(覆すのは大変である)、そうでなくても実際のところ、どうかと言われると・・・本人にもよくわかっていない場合もあるだろう。

     この日、殺すことを決めて、計画をして、覚悟の上で殺しました、という事件ももちろんあるだろうが、交際相手から別れ話を切り出されて、感情的になり、たまたま持っていた果物ナイフで殺した、といった事案だとどうであろうか。

     例えば、加害者から事情を聞くと、「その時、自分は、本当は殺すつもりはなくて、持っていた果物ナイフを出すことで、相手に自分の本気を分かってもらおうとした。それでも相手が自分のことをわかってくれず、ナイフの取り合いになって、もみあいになって、気がついたら、相手が血を流して倒れていました。」などと言うかもしれない。
     
     その時点で、激しい怒りの感情に支配され、殺意を覚えた、といえばそうかもしれないが、何分、感情統制を失って、冷静な思考力を失ったりしているので、そこに明確な殺意があったかどうかは、自身でもよく分からないこともあるのではないかと思われる。
     少なくとも、相手に対する激しい攻撃感情に支配された、とまでは言えるが、殺意、とまでは言えるのかどうか、どこまで、自分は相手に攻撃を加えるときに、自分の意識や感覚を明確に認識をできていたのかどうかとなると、難しいところがある。

     そうなると、そもそも何でその時に、果物ナイフなぞを持っていたのか、と言う点が問題になったりする。最初から殺すつもりで持って行ったのではないのか、いえいえそんなことはなくて、たまたま、友達の家でりんごをむいた時に、ポケットに入れていたのが残っていて、とか、そんな会話が取り調べの場面で出てきたりする。

     事件当時の心の動きと言うのは、当時も後も、形になって残るものではなく、誰にとっても検証することは難しい。難しい分だけ、争点になる。本当のところは、もしかしたら、誰にも分からないかもしれない。

     刑の重さに直接関わってくることなので、警察からも、弁護士からも、そして自分でも、真実はどうであったのかを巡って、さんざん考え、問われたりしたら、、、あるいは、自分でも明確なところがよくわからなくなって、後になって加害者の供述が二転、三転することは考えられないわけでもないと思う。

     また、話が横道にそれた。続きを見てみよう。 

  • 平成19年 風俗犯 1万1184件
    平成20年 風俗犯 1万0559件
     
     風俗犯は賭博とわいせつである。
     平成20年では、賭博は、271件で数は少ない。
     同じく平成20年では、わいせつは、1万0288件で、種類が2つあって、強制わいせつ7111件、公然わいせつが2361件となる。

     強制わいせつは、無理やりわいせつなことをしようとするもので、たとえば、無理やり押し倒して乳房や陰部を触ったりするものである。公然わいせつは人前で性器を出したりするものである。

     余談になるが、筆者が見たことがある裁判で、女子高生に自分の性器を露出した男性犯罪者が、女性の裁判官から、
    「あなたのやった行為は、被害者女性の心を傷つけたのだから、暴力を振るったのと同じことなのよ」
    と厳しく責められていたことがある。
     
     理屈としては、わからない話ではないかもしれないが、よくよく考えても、あまりよくわからないという気もする。
     裁判とは、裁判官の個性や考え方が色濃くでるもので、大岡越前のような裁きがあったころと現在も、それは変わらないのだろう。こういった裁判での言い回しでは、説得力は、筆者から見ればあまりないと思うがどうだろうか。裁判官が、明晰な頭脳と正確な法律知識を持ち合わせているのは確かであろうが。

  • 平成19年 凶悪犯 9051件
    平成20年 凶悪犯 8581件
     
    平成20年の内訳を見ると、殺人が1297件、 強盗が4278件、 放火が1424件、強姦が1582件となる。
     刑法犯全体から見て、割合は少ないが、マスコミをにぎわす事件も少なくない。

     もちろん、凶悪犯に属する事件は、被害が甚大になることが多く、凄惨な事件の内容になることも少なくない。それゆえ、社会の中で大きく取り上げられることは、当然のことである。

     その一方で、犯罪については、犯罪の大部分は、盗みと交通事件、である、ということは認識しておくべきであろう。
     華々しく、世の中の脚光を浴びる凶悪事件もあろうが、世の中の犯罪実行者の大多数は、それに比べれば大したことのない事件を日々起こして、犯罪の認知件数を増やしている。 

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16 犯罪は増加したのか?(その1)

 交通関係業過を除く刑法犯の認知件数は、
平成 8年には、181万2119件であった。それが、
平成14年には、285万3739件に増えた。

 その間の6年間に100万件以上、犯罪が増加したことになる。

 先にも示したように、平成19年の一般刑法犯は190万8836件、平成20年の一般刑法犯は181万8023件であるから、10年前の水準に戻りつつある。

 この変化は、一体、なんなのだろうか。

 このわずかの期間に、急に人々は凶悪化し、粗暴化し、あるいは、社会が人々を犯罪に駆り立てるような変化を生じたのだろうか。
 自分自身が、あるいは自分の身の回りの人間に、その時期に急激な変化が起こってきたという実感は、どうしても持ち得ない。

 テキストの犯罪統計入門をお持ちの方は、p.58の刑法犯主要犯罪名別の認知件数の推移のグラフを見ていただきたい。

 グラフを見ると、わかるのだが、平成11年以後、傷害、強制わいせつ、住居侵入、器物損壊の各刑法犯が急激に増加していることがわかる。

 もう一つ例を挙げるが、刑法犯の中で,脅迫の認知件数が、
  平成11年には 995件であったものが、
  平成13年には2300件と2倍を越える増加を示した。

 繰り返しになるが、その2年間に社会全体にこうした急激な増加を誘発するような大きな変化があったとも考えにくい。人々が急に暴力的になったとも考えられない。

これは、この時期に捜査機関を非難する世論が強まったことで ,通報された事件については原則受理をするといったように立件,受理の姿勢に変化が生じた ことに原因が求められよう(浜井浩一 過剰収容の本当の意味 龍谷大学矯正・保護課程委員会(編) 矯正講座,23,79-137)。

 平成11年にはいわゆる桶川ストーカー殺人,栃木リンチ殺人が発生している。いずれの事件も被害者の家族が事件発生前から警察に通報をしていたにもかかわらず,警察が事件受理を回避したことで最終的に被害者が殺害されたとして警察が激しく非難された。
 
  これを受けて、平成12年3月には警察庁次長依命通達「犯罪などによる被害の未然防止活動の徹底について」が発出されている。

 こうした世論によって影響された捜査機関の姿勢の変化によって、これまでは事件としては受理していなかったような出来事も、どんどん事件として認知件数に組み込まれていった結果が、犯罪統計上の急激な増加に結びついたのではないか、と考えられるのである。

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17 犯罪は増加したのか?(その2)

 前節では、捜査機関の姿勢が変わり、世論もそれを後押し、あるいは、積極的に捜査機関に影響を与えることで、認知件数が増えていく、という話をした。

 それは、丁度、一番最初に話をした、飲酒運転の話と同じことがおこっていると考えるとよい。飲酒運転をする人が急激に増えたと言うよりは、世論に後押しされた摘発の努力の結果、どんどん事件として数値が増えていくのである。

 前にも述べたとおり、たとえ犯罪行為があっても通報がなければ暗数となるし、捜査機関への通報があっても事件として受理をされなければ暗数となる。その過程は行為の実行者,被害者,通報者となりうる一般人、捜査機関の姿勢、世論等の相互作用によって生み出されていくのである。

 この手の話としては、児童虐待や家庭内暴力,少年犯罪の凶悪化などいろいろ考えられるものがあろう。

近年大きな社会問題となった児童虐待は,児童相談所の相談処理件数が平成10年に6932件,平成13年が23274件と急増しているが,ここ数年で虐待の発生が急増したというよりは,虐待が社会的に認知されたことによる部分が大きい(龍野洋子 2003 児童虐待について―その実体と対応 更生保護,54,(8) 20-28)。

 誤解のないように断っておくが、警察で事件を受理するなとか、飲酒運転は取り締まらないほうが良いとか、児童虐待は放置したほうがよいとか、そういったことを言っているわけではない。

 世の中に犯罪に該当する行為が行われているのであれば、当然、それに対して何らかの対処をしたほうが良いのは疑いがないのだ。

 ただ、犯罪が多発した、治安が悪化した、などという社会問題として語られる話題が、本当にそうなのだろうか、というと、そうとばかりも言えないところもある、ということである。

 こうした問題については、犯罪統計というものの性質を考えながら、いろいろと可能性を考えてみるべきものであり、その意味で、現在のマスコミの作る世論には、偏りがあると言ってよい。 

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 本当は犯罪は増えていないのではないか、治安の悪化というが、本当はそんなことはないのではないか、ということの可能性について、前節まで論じてきた。

 ただ、みなさんは、お気づきかと思うが、本当のところというのは、解らないのである。

 刑法犯の認知件数が増えたのは、いろいろあって警察が事件にするようになったからで、実際はそんなに増えたわけではないのだ、と言ってみても、それが本当にそうであるかは直接はわからない。

 児童虐待にしても、最近、数としては増加して認知されているけれども、昔からあって、最近、注目を集めただけだよ、と言ってみても、本当に昔からあったのかどうかはわからない。

 前にも述べたが、犯罪は構成概念で、実体がなく、加えて、定義してもそれを完全に計測することが難しい。

 それゆえ、犯罪多発化や治安悪化への反論はどうしても歯切れが悪い。まず、世論の主体とならない、世にあまり浸透しない理由なのかもしれない。
 どちらかといえば、センセーショナルな犯罪事件を報道したり、捜査機関、司法機関、行政機関の不祥事を報道し、日本の治安は悪化した、犯罪摘発能力も悪化した、と声高に主張するほうが、受けが良いのだろうし。

 少なくとも、ここまでの話をある程度理解してくれば、そうした主張ばかりに耳を傾けるのは片手落ちだ、ということは疑いなく言えるだろう。

 本当は、世間で言われるほど、治安は悪化していないのではないか、ということの傍証として、以下の数値を見てみることにする。

 殺人の件数を見ると、

  平成 8年は、1218件
  平成14年は、1396件
  平成17年は、1392件
  平成18年は、1309件
  平成19年は、1199件
  平成20年は、1287件

 となっており、増えていたり、減っていたりするが、さほどの変化は見られない。
 ところで、殺人については、これまで述べてきたような、認知件数を左右するような要因の影響を受けにくいと考えられる。

 さすがに、世論や捜査機関の姿勢で、それまでは人が殺されても事件として受理しなかったとか、捜査しなかったとかいうことはないだろう。
 ある殺人事件が起こったことを契機に、全国一斉殺人取り締まりを行ったら、前年比で3倍殺人事件が逮捕されました、とか、そういうことはないだろう。

 治安が悪化した、と言われている割には、殺人事件は大した変化がない。「治安の悪化」という言葉自体の定義を明確にする必要はあるが、殺人事件が、あんまり変わらないくらいなのだから、それは、もう、そんなに治安が悪化したわけでもないのではないか、と言ってもよいのではないだろうか。

 
 
 

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19 治安の悪化について考える

 治安の悪化と関連して語られることの多いのが、検挙率の低下である。

これは、平成 8年には40.6パーセントであったものが、
     平成14年には20.8パーセントになった。
     平成17年では28.6パーセントである。

 検挙率は約半分に低下してしまった時があり、治安の悪化、警察力の低下、安全神話の崩壊などと随分さわがれた。

 筆者は、有名な経済評論家が、わざわざ統計数値を持ち出して、今の日本はだめになった、と嘆いている記事を週刊誌で読んだことがある。
 
 最近では、治安の悪化は、もう当たり前のようになってしまったので、とりたて話題にされることも少なくなったかもしれない。

 しかし、本当に検挙率は半分にまで低下するものなのだろうか。そんなに、犯人が捕まらなくなってしまったのだろうか。そんな怖い世の中になってしまったのか、疑問に思うのだ。

 先に考えてきたように、警察が事件受理を積極的にするようになったことで、認知件数が急増し、その結果、検挙まで手が回らなくなって、検挙率が下がったのではないかと思われるのである。 
 
 もちろん、認知をされて、解決されていない事件があるわけで、それは問題と言えば問題である。しかし、検挙率の数値が低下する以前の状態と比べて、今まで捕まっていた犯人が、最近では捕まらなくなったとか、悪いことをしても捕まる率が半分になったということとは違うはずだ。

 たくさん事件を受理し、認知件数が増えれば、検挙率が下がるのは当たり前のことなのだ。
 そして、平成19年の検挙率は、51.6%であり、認知件数の低下とともに、数値的には上昇してきている。 

 殺人事件の検挙率は平成17年で96.6%であり、そのほとんどが事件は一応の解決を見ていることになる。こうした点を見ると、それほど治安も悪化していないのでは、と考えられる。捜査機関は、結構がんばって捕まえているな、とも思う。 

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20 少年犯罪の凶悪化について考える。

少年犯罪の検挙人員で、強盗事件の検挙人員が

 平成8年には1068人であったものが、
 平成9年には1675人に増えたことがあった。
 対前年で1.6倍である。(平成18年は912人)。

 この統計数値も少年犯罪の凶悪化の根拠としてしばしば使われたものであるが、本当に少年が凶悪化して強盗が増えたのかというと、疑問に思うところがあるのだ。

 筆者は、当時、少年鑑別所に勤務していたが、同じようなことをやっていても、それまでは恐喝、傷害、窃盗という事件名で取扱がなされていたものが、強盗という事件名で警察から送られてくることが多くなったという印象がある。

 例えばの話、被害者からハンドバックをひったくりをしたところ、被害者が転倒してケガをした、というような事件では、窃盗と傷害という事件名でも、強盗致傷という事件名でも、どちらでもつけられるのである。

 あるいは、被害者を脅してお金を取ろうとして、そのときに暴力を振るってケガをさせた場合も、恐喝と傷害になるか、強盗致傷になるか、どちらにも転ぶようなところがあるのだ。

 これは、警察(もしくは、裁判所)の姿勢や、法律の運用面の問題でいくらでも代わりうるところがあるのだと思われる。

 恐喝・傷害という犯罪と、強盗致傷では受ける印象がぜんぜん違ってくる。これは余談になるが、裁判官の判断によっては、似たような事件を起こしていても、強盗致傷という事件名であれば、より厳しい判断が下される場合もあるだろう。

 非行少年の処分を決定するのは、家庭裁判所の裁判官であるが、刑事事件に長く関わってきた裁判官では、罪名による量刑判断を重く見る傾向が強い場合がある。そうした裁判官の場合には、強盗か、恐喝・傷害かというのが、相当な違いになる。
 
 ほとんど似たようなことをやってきていても、強盗とついた場合には、少年院に送致され、傷害・恐喝とついた場合には、保護観察で社会に戻される、といった事例を何度も見たことがある。

 それにしても、少年事件の強盗が増えた、平成9年といえば、神戸市須磨区で14歳の少年が酒鬼薔薇聖斗を名乗って小学6年の男児を殺害した事件がセンセーショナルに取り上げられた時期である。

 この事件がきっかけとなり,少年法が改正され、厳罰化が行われたが、この時期に世論に押されて、捜査機関の姿勢が変化したことで、少年犯罪をより厳しく取り締まるようになったのではないかと考えている。

 さて、本当に少年犯罪は凶悪化しているのだろうか。確かに、少年が加害者となって、親を殺したり、自宅に放火したり、小学生が同級生を刺し殺したり、など、ここ数年を見ても、凶悪といわれる事件が少年によって引き起こされている。それは、確かなことであろう。

 一方で、鮎川潤著:少年犯罪 平凡社新書には、少し前の世代の少年が引き起こした凶悪犯罪が紹介されている。

「昭和52年、福島県の住宅地で、小学校2年生の女子が下校後に立ち寄った児童館から自宅へ帰る途中で乱暴されて殺害された。加害者は、上級生の小学6年生であった。」

「昭和38年、愛媛県で、中学校2年生の男子生徒が11歳の少女を高校の校庭に連れ込んでわいせつな行為をし、顔を見られたため、顔と腹にコンクリートの塊を投げつけて死亡させた。」

「昭和37年、神奈川県の私立高校1年生(15歳)が、学校の近くで、親しかった友人と口論になり、ナイフで首を切り落とした。」

 もちろん、事件の内容は痛ましい限りであるが、少年による凶悪事件というものは、最近に限ったことではない。凶悪事件が増えているかどうか、ということを、実証しようとすれば、何を持って凶悪と呼ぶのかを明確に定義した上で、計量研究を行う必要があるが、少なくとも上記のような少年による事件は、しばしば起こっていたことではあるのだ。



 

 

 

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21 少年犯罪に対する厳罰化について

 少年犯罪に対する厳罰化の流れを見ると、平成8、9年当時と、現在とでは隔世の感がある。
 
 少年の事件については、成人の事件とは別立てのルート、システムで取り扱われる。いわゆる少年保護事件手続きと呼ばれるシステムである。基本的には、少年が犯罪を犯しても刑務所にはいかず、少年院に送致される。裁判も刑事裁判として地方裁判所等で行われることはなく、家庭裁判所で「懇切を旨として、和やかに行う(少年法第21条)」ものとされている。
 判断力も未熟な若い時期に犯した犯罪によって、少年の人生が潰されてしまうことのないようにという、保護的、教育的な措置が行われているのだ。

 そこへ世論の厳罰化への要請を反映する形で、平成13年に少年法が改正され、「家庭裁判所は、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件であって、その罪を犯すときに16歳以上の少年に係るものについては、同項の決定をしなければならない(少年法第20条2項)」とされた。

 同項の決定というのは、少年法第20条1項に定める検察官送致の決定である。検察官送致と言うのは、少年事件として取り扱うのではなく、成人同様の刑事裁判として取り扱う、という決定である。

 成人同様の刑事裁判になれば、少年であっても刑務所に送られる可能性も出てくる。少年法という保護的な枠組みの外に出されるわけである。少年法の改正によって、故意の生命犯に対しては、原則としてそういった措置を行うこととされたのだ。

 平成8年当時、筆者が勤務していた少年鑑別所で見た事例として、10数人で、1人の少年に殴る蹴るの暴行を加え、結果として、死に至らしめたという傷害致死の事件があった。この内、数人は、家庭裁判所の審判決定で(成人は裁判であるが、少年は審判と呼ばれる)、中等少年院送致、一般短期処遇の処遇勧告付という処分に付された。
 
 これは、簡単に言えば、6か月コースの少年院送りということになる。集団でよってたかって被害者を殴り殺して、約半年、少年院で過ごせば、あとは社会に戻ってこれるということになる。もちろん、何を持って、処分が重い、軽いとするかについては、本質的な理由は存在しないのであるが、今の社会風潮から見れば、ずいぶん軽いと言わざるを得まい。

 故意の生命犯であるから、原則的には検察官送致となり、成人同様の刑事裁判を受けるか、そうならずに少年保護事件手続きにとどまったとしても、現在であれば、一般短期処遇(6か月コース)で処分が終わるということは考えられない。

 ほんの10年近く前のことであるが、処分の重さの変化には驚かされる。この10年で、子どもの質が急激に変化し、厳罰を科されるに値するような凶悪さが増したのだとは思われない。
 ここでは、少年事件の処分を軽くしろと主張しているわけではないことに、留意していただきたいが、厳罰化が妥当なものであるかどうか、もう少し一般的に言えば、ある犯罪に対する処分の重さが妥当であるかどうかについては、結局のところわからないまま、処分の内容が変遷していくことを感じるのである。  

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22 落穂ひろい~凶悪事件と少年の資質面

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23 犯罪者のフィルトレーション

  犯罪学上の確立された知見として、男性の方が女性よりも犯罪をする、というものがある。平成19年の一般刑法犯の検挙人員を見ると、男性は366002人、女性が79570人である。男子の方が4.5倍である。

 男性の方が女性よりも犯罪を多くするため、我が国では男子刑務所よりも女子刑務所の方が数が多く設置されている。刑務所はほぼ各県に1つづつ設置されているが、女子刑務所は東京管区内では栃木刑務所があるのみで、千葉刑務所、川越少年刑務所、黒羽刑務所、横浜刑務所・・etc、他は全部男子の刑務所である。刑務所で働く刑務官の採用数も男性が多いし、法務教官も男性が多く採用されている。

それでは、実際にそういった調査データが得られるかどうかを確認してみよう。自己申告式非行尺度 と呼ばれる犯罪の調査方法で,筆者の勤務する4年制大学の学生47名(女子32名、男子15名)に回答をしてもらった。 

 

 

 

 少々荒っぽいが以下のような比較をする。
 全ての非行の頻度の合計得点は、

 男子:26.3
 
女子:23.7

 となった。これは、t検定では、有意差は認められなかった。
 つまり、男子も女子も非行の量に差は見られない、ということである。
 この調査では、犯罪学上の確立された知見が実証できなかったことになる。
 どうしてこういった結果になるのか、予想できる方はおられますか。

 どうしてこういった結果になるのか、予想できる方はおられますか。

 私立高校を受験したりなどの例外はあるが、小学校から中学校は地区でほぼ持ち上がりで進級していく。小学校→中学校では、さほどセレクションがなされないということである。

 ところが、中学校→高校ではセレクションがかかる。成績の良い人は進学校に、そうでない人はそうでない学校に進学し、進学しない人は社会に出て働く。高校→大学では、再びセレクションが行われる。成績の良い人は偏差値の高い大学に、そうでない人はそうでない大学に進学し、大学に行かずに働く人も当然いる。

 この世の中の思春期の犯罪者、いわゆる非行少年は大抵は学校の成績が悪く、多くは高校に進学しても卒業しないで中退し、大学に進学することはほとんどない。逆に、学校の成績が良いものは犯罪をしないのである。

 罪を犯して少年鑑別所に送られてくる非行少年には、いわゆる地域の進学校に在籍しているものはほとんどいない。差別的な発言に聞こえたとしたら、決してそう意味で言っているわけではないことを強調したいが、実際の現象としてはそうなのである。
 
 つまり、大学に進学してくるまでに行われるセレクションによって、犯罪、非行を繰り返していた一群の人たちは、排除されてくる。犯罪をしない「犯罪性の低い人たち」が大学まで入学してくるわけである。
 
 今回の調査は、犯罪をしていない男性と犯罪をしていない女性を比べて、どちらがより犯罪をしていましたか、と聞いているようなもので、それが性差の見られない原因になっていると考えられる。

 もちろん、大学まで来る一群の人々が犯罪を全くやらない健全な人かと言われれば、そういうわけでもない。最近は、大麻を栽培した大学生が有名になったし、強姦事件を起こした大学生だっているわけである。

 どんな集団でも人がたくさん集まれば犯罪をやる人というのは出てくる。警察官も自衛官も学校の先生も相撲力士も、その中には犯罪者は必ず出てくる。要は、どの程度の割合で犯罪が起きてくるか、これをprevalenceというが、その割合が重要になるのだ。

 今回の調査で、店の品物を万引きした回数は、

 女性 0.06回
 男性 1.20回

 となった。普通、少年鑑別所に入所してくる少年に万引きしたかどうかを尋ねれば、大概はたくさんやっているものである。1度や2度ではなくて。万引き程度すら大してやっていない今回調査対象となった大学生サンプルは、真面目な人たちなのだろう。その他、各種犯罪行動のprevalenceは低い数値を示している。

 今回取り上げた話題は、厳密に分析を行ったものではないが、犯罪を取り扱うことの雰囲気を感じ取っていただければ幸いである。

 どの分野でもそうであろうが、犯罪分野においても、そこから得られるデータは、以外と癖のあるデータを生み、そして、それにふさわしい物事の捉え方を必要とされることがわかっていただけだだろうか。

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犯罪統計入門―犯罪を科学する方法

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価格: ¥ 2,940 (税込) 

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